お誕生日おめでとう
- 2020年7月9日
- 看護室
先日、約16年間飼っていた愛犬が亡くなりました。
この気持ちを何か形に残しておきたいと思い、文字に起こすことにしました。
スタッフブログに感謝しつつ、長くなりますが書かせていただきます。
もともと、犬は絶対に飼わないという家庭でした。例外的に引き取ることになったのは、私の伯父、母の兄の忘れ形見だったからでした。
小学6年生の時、伯父が急逝しました。母が奔走し、伯父の飼っていた犬の里親を見つけました。その里親がたまたま私の実家近くに住んでおり、交流を持つようになりました。
高校2年生の夏「伯父の犬が子供を産んだから見に来ないか」と連絡があり、家族で見に行きました。真っ白な子犬数匹はすぐにもらい手が見つかったようで、私たちが訪ねた頃には2匹しか残っていませんでした。
耳と尻尾だけが茶色の子犬は里親がそのまま飼うと決め、まだら模様で耳に傷のある子犬だけもらい手がいないとのことでした。
その売れ残りの犬が、後の愛犬「聡二郎」です。コロコロと丸くて大人しく、とにかく可愛い子でした。雑種が好きな私は、飼いたいと頼み込みました。聞けば誕生日も私と同じだというのです。
もうこれは運命だと、半ば無理矢理連れて帰りました。しぶしぶ了承した両親でしたが、結局は誰よりも世話を焼き、可愛がってくれました。特に母は自分の息子のように、朝から晩まで大切にしていました。
脱走を繰り返してもちゃんと自分で家まで帰ってきてくれました。時には遠くまで逃げすぎて、警察や保健所のお世話になることもありました。雷や雨が嫌で、障子をビリビリにやぶいたり、ドアを噛んで傷つけたりしました。てんかん持ちで発作はありましたが、重い病気やケガもなく長生きをしてくれたと思います。
大変だったことは、挙げればきりがありません。しかしそれ以上に、楽しそうに庭を駆け回る姿や誰にでも尻尾を振る人懐っこさ、吠えないかわりに全身で愛情表現をする可愛らしさしか、私たちの中には残っていません。そしてその大好きな思い出も、語り尽くすことなどできないのです。
別れの日は、誕生日まであと数日というところでした。
その日の早朝、母が異変に気づき私を起こしにきました。急いで会いに行くと、苦しそうに浅い呼吸をする聡二郎がいました。もう長くないことは、一目で分かりました。すぐに妹も飛び起きて、3人でその姿を見守り続けました。あとから来た父の目にも、熱いものが見えました。涙があとからあとから溢れてきました。
この世の息を精一杯吸おうと、深い呼吸を繰り返す姿に、私は「もう頑張らなくていいんだよ」と、泣きながら頭を撫でることしかできませんでした。
そのうち、ふっと息継ぎが止まりました。
それから間もなく、遠ざかる足音のように心臓もその機能を止めました。
長いようで、あっという間の出来事でした。
離れて暮らしている姉も、姪と共にすぐに駆けつけました。聡二郎の最期には間に合いませんでしたが、きちんと顔を見て別れを告げることが出来ました。
葬儀が始まるまで、しとしとと静かな雨が降り続いていました。告別までの時間を、癒してくれているかのようでした。
冷たい部屋の中で何時間も横たわっていたというのに、聡二郎の身体は葬儀の直前まで温かいままでした。それが余計に現実感を奪い、より一層別れを辛くさせました。
もうそろそろだという時刻になり窓の外を見れば、うっすらと空が晴れ光が差し込んでいました。永遠に続くかのように降っていた雨も、いつのまにかやんでいました。
聡二郎は天気さえも味方につけて、私たちのためらいに背中を押してくれたのかもしれません。
まだ温かい骨壺を抱いても、実感はありませんでした。けれど、あの優しい眼差しや、ふわふわの毛、揺れる尻尾、土の匂いの肉球、濡れた鼻、長い手足。彼を形成する愛おしいそのすべてに、二度と触ることが出来なくなったのだと思うと、涙が溢れて止まりませんでした。
姉を車で送る道中「そうちゃんお空でねんね」
と、姪がぽつりと呟きました。幼いながらに理解しようとしていたのかもしれません。
見上げれば絵筆を伸ばしたような雲が、毛羽立つ空に滲んでいました。夕焼けの色味が雲を浮かび上がらせて、柔らかな手触りを思い起こさせます。長く細く一直線に続いているそれは、走ることが大好きだった聡二郎の軌跡のようにも、揺れる長い尾のようにも見えました。
ああ、もう本当に会えなくなってしまったんだと改めて思い知らされ、窓の外の景色が上から溶けていくように見えなくなりました。
もっと生きていて欲しかった寂しさはもちろんあります。しかし、家族全員が揃っていたその日を見計ったかのように旅立った彼は、最期まで甘えん坊で親孝行な犬だったと思います。
名前の通り聡明で、吠えることのない穏やかな性格は、誰からも可愛がられました。
16年間という長い時間を共に過ごし、そこにいるのが当たり前になっていました。それが突然なくなることに、まだ身体も脳も追いついていません。ふいに、自分の身体の一部を削られてしまったような強い寂寥感に苛まれます。
ありがとうという言葉じゃ足りないくらい、私たちの人生を楽しく豊かにしてくれた愛おしい存在でした。聡二郎がいたから、私たちはより優しい人間になれました。16年間、本当にありがとう。
聡二郎
きっと君は、私の想像もできない広い野原で、思う存分走り回っているんだろうね。
苦しかった身体を脱ぎ捨てて、もう君の魂は自由だ。首輪もリードもない。好きな場所へ、どこへだって行っていい。
でももし、遊び疲れてしまったら私の夢へ休みにおいで。君のことが大好きな家族と一緒に、16歳の誕生日を祝おう。
さよならの前に言えなかった言葉を、君が嫌がるくらい抱きしめて、今度こそ伝えるよ。
看護助手 今野