人生の交差点で問い続く 幸福の定義
- 2022年12月30日
- 事務室・受付
「ここは人生の交差点のようだ」
YSYCの受付に立つとふとそんなイメージを思い浮かべます。
年齢も仕事も生活背景も違う方々が、ただ一つの共通した思いを胸に、訪れてはまた去っていく。
多い日は1日に100名超がこの交差点を行き交う。
岐路に差し掛かっては、選んだ方向が正しいと信じて、行き止まりのない人生を立ち止まることなく歩み続ける。
スクランブルに交わるそこかしこで、一体いくつの人生のドラマに立ち会ってきたことでしょう。
お顔も、声も、表情に滲む心の機微も、忘れられるはずはなく、記憶に刻まれています。
皆さまこんにちは、受付の中西です。
今年も残りわずかとなりましたね。今年もお疲れ様でした。
受付としてクリニックの入口に立ち続けていつのまにか9年が経とうとしています。
当初20代前半の若輩者だった私も、30半ばを経過しました。
自分を取り巻く環境は大きく変わり、多少の持ち物が増えました。
患者様と近い場所から景色が見えるようになれたのではないかと感じています。
あの頃も現在も、変わらずに問い続けていることがあります。
人生の「幸福の定義」とは何か、です。
誰に対して問うているのでも、誰から問われているわけでもないですが、
息苦しさを感じた時に、それが分かるなら楽になれるのではないかと、無性に知りたくなるのです。
結婚し生涯の連れ合いを得て幸せになる人がいるかと思えば、
離婚して自由を手に入れて幸せになる人もいる。
大成することを目標にがむしゃらに頑張る夢追い人がいれば、
富と名声を得た後に突如表舞台から姿を消す大スターもいる。
幸福の定義は人それぞれで、固定の条件はないようで、
その時幸福でも、時間が経てば満足できなくなってしまうこともある。
年齢や人生の段階によってどんどん形を変えていくものらしい。
どこかの偉い先生は、そもそも、幸せとは何か悩むなんて、暇で幸せな証拠だと言います。
昔はどんなに酷い目に遭おうとも、戦争で死んでしまうことに比べたら遥かにマシだった。
生きているだけで幸せだった、と。
自分が幸福であるかどうかは、主観に基づくもので、数値化することはできません。
そもそも幸福の定義とは何か考えること自体が無意味なことなのでしょう。
でも、
この入り口で、
ずっと皆様を見ていると、何だかその輪郭が少しだけ見えてくるような気がするのです。
かばんに付けられた小さな願掛けの御守りを見た時か、
パートナーに電話で結果を伝えている必死な横顔を見た時か、
途方もなく長く続いた緊張が緩和した瞬間に流れた涙を見た時か。
真剣に自分の人生と向き合ういくつもの鮮やかな「今」が、
目の前をどんどんと通り過ぎてゆく。
ここに来ることで、何か一つでも前に進めますように。
納得して次に向かうことができますように。
あなたにとっての幸福が実現しますようにと、願っています。
来年もまたこの場所でお会いしましょう。
良いお年をお迎えください!
受付 中西