「ウガンダからの便り」
- 2016年8月6日
- 研究室
皆様暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
高度生殖医療研究所の中田です。
7月はESHREと国内の出張で月の半分、クリニックを不在にしていましたが、その中で「ウガンダのスタビアちゃん」からお手紙が届きました。
YSYCでは山下院長の方針でワールドビジョンのチャイルドスポンサーシップを行っています。私は、何人かの候補の子供たちの中から、「ウガンダのスタビアちゃん」を希望しました。希望した理由は、彼女は10歳ですが、眼力があって、困難に負けない逞しさを感じさせる何か、があると思ったからです。
彼女からのお便りには、「私をたくさんの子供たちの中から選んでくれてありがとうございます。お父さんは亡くなっていません。母親と暮らしています。将来の夢は看護師になることです。お返事お待ちしています。(一部抜粋)」と書いてありました。
そのお手紙を読んで、涙、でした(もともとよく泣きますが、さらに涙もろくなりました)。
去年亡くなった祖母は看護師になりたかったけれど、両親に止められて、看護師になるのをあきらめたと言っていたからです。
どうして看護師になりたかったの?と私は祖母に聞いた時に、祖母は宮崎の綾、という場所で生まれ育ったのですが、村にハンセン病患者のご家族がいたそうです。正確にはそのご家族のお父さんがハンセン病だったそうですが、誰も近寄らない、誰も関わらない家だったそうです。娘さんと仲良かった祖母は、毎日通って、娘さんと遊び、お父さんの看病を手伝った、と言っていました。でも、祖母の両親からは移るから行ってはいけないといわれたらしいのですが、毎日行って移っていないのだから移らない、と言い張って、頑固に通ったそうです(私の頑固さは間違いなく祖母の遺伝ではないかと思います)。
看護師になったら、ハンセン病の患者さんの看護か、結核の患者さんの看護をしたいと言ったため、看護師になったら確実に死ぬから、という両親の反対で祖母は看護師にはなれなかったそうです。祖母は夢を叶えることはできなかったけれど、祖母がいなかったら私は存在していないので、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんに感謝です。
「ウガンダのスタビアちゃん」へのお返事とささやかなプレゼント、私の白衣姿の写真を送りました。彼女が看護師になることが私の楽しみです。これからも応援していけるように私も頑張りたいなと思います。
写真は7月末の出張先にご自由にお持ち帰りくださいとなっていた、カブトムシです。
この中からつがいでいただいて、飛行機に乗せて帰りました。今も元気に昆虫ゼリーを食べています。
来年もしこのつがいから子カブトムシが生まれたら、飛行機に乗せて両親?の故郷に連れて行ってあげようかと思ってしまいます。