生殖医学会2018
- 2018年9月11日
- 研究室
台風、地震と今年は災害の多い年ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
高度生殖医療研究所室長の中田です。
9月6日から旭川で開催される生殖医学会で発表のため、9月5日に旭川に入りました。そして、皆様もご存知のように北海道胆振(いぶり)東部地震に遭遇することになりました。明け方に大きな揺れを感じて、目を覚ますとベットがぐらぐら、「ああ、まずいな。だけどすぐに止まるかな。」と思い、少しうとうと。しかし、部屋の電気が消えて、ああ、これはやはりまずい、と思って、すぐにシャワーを浴びました。最悪の状況になるとしばらくお風呂に入れないからです。真っ暗な中でも、熱いお湯が出たので、ガスと水は大丈夫だとわかりました。だけど、それもいつまでもつかわかりません。お財布と携帯とホテルのキーを持って、部屋を出て、ホテルのキーがちゃんと作動するか確認。するとドアの開け閉めはできるので、キーは電力ではないのかな、と思いました。真っ暗な中、非常口のドアを探します。なんとかドアを見つけたけれど、思った通りに階段は真っ暗。携帯の明かりで階段をなんとか降りたものの(2回ほど落ちました)、外のどこに出たのかわかりません。もともと方向音痴なので、場所を把握するまで歩きまわり、なんとかわかる通りに出ました。コンビニにダッシュすると、おにぎり、サンドイッチやパン類はまだたくさんあり、飲み物もたくさんありました。今回の学会は山下院長、培養室長、培養士、私の4人だったので、おにぎり10個と水2L、500mlのお茶を5本、ポカリスウェットを2本買い、ホテルに戻りました。しかし、どこから出てきたのか思い出せず、またうろうろ。おそらく駐車場だったと思いだし、壁をなでながらドアをいくつか開けては、中の壁にぶつかり、おでこがガンガン痛いなというのを何度か繰り返して、なんとか階段を見つけ、またもや滑り落ちそうになりながら部屋に戻りました。先生や同僚たちの部屋にも非常階段をのっそりのっそり上りながら行き、食料と水を渡し、またのっそりのっそりと部屋に帰りました。懐中電灯の必要性をとても感じました。
学会の中止の連絡が入るまでの間、携帯の充電確保のためにコンビニに走っては、その都度、ゼリーやカップラーメン、チョコレートなど買えるものを買いました。全然、復旧の見通しが立たなかったですし、復旧してもすぐに帰れるかわかりません。そんな中、部屋では私がしていたことは、簡易トイレの開発でした。いつもの癖で、買い物のビニール袋をスーツケースの中に10枚くらいは持ってきていました。そこにティッシュをいれたもの、新聞紙を入れたもの、小さなタオルを切って入れたものなどを作って、4人がトイレに困らないようにと作っていました。あと、火がおこせるようにとライターもいくつか買い、こよりのようなものを部屋のトイレットペーパーでつくってはビニール袋に入れていました。これが正しいのかどうかわからないけれど、転ばぬ先の杖ではないですが、あれば安心じゃないかな、という思いでした。作っていることで安心したのかもしれません。コンビニも開いているお店がどんどん減り、ものもどんどんなくなりました。電力の復旧は、私たちが宿泊しているホテルは早く、近くの交差点のピヨピヨと鳴る音が聞こえた時は、本当に嬉しかったです。水も早く回復しました。まだまだ復旧している場所も多い中でとてもラッキーだったと思います。それでも、ホテルでは寝れて3時間程度、うとうとはしても熟睡できず、起きては情報確認、こよりをつくる、というのを繰り返しました。
金曜日にホテルをチェックアウトする際には、スーツケースの中はカバン一つと薬、化粧バックを残して、服も下着も靴も全て捨てて、食料と作ったトイレやこより?をパンパンに入れました。空港で大震災が再びおこっても3日、4人が大丈夫なようにするためです。なんと言っても、山下院長や培養室長、私と長がつくものが3人もいたわけですし、一番若く、これからという未来のある培養士がいたので、なんとしても生き残って帰らなければ、という思いしかありませんでした。最終日は空港でずっと待機しても仕方がないので、少し観光しましたが、事前に電話をあちこちにかけて、電力が復旧しているか、水はきているか、地震の揺れはどれくらいだったかを確認してからにして、国道沿いで、道路も広い道にしました。
なんでここまでしてるの?大げさじゃないの?と思う方もいるかもしれないですし、中田は自分がこんなに頑張ったと書きたいだけじゃないか?と思う方もいるかもしれないですが、東日本大震災の時に、嘘のように東京タワーが揺れた新橋から町田まで9時間近く歩き、水不足にとてもつらい思いをしました。非常事態への備えが全くなかったからです。空になったコンビニで食料も水も買えず、ただただ携帯の地震注意報の音にびくびくしたことを思い出します。
旭川空港から見えた灯りはほんのわずかでしたが、羽田空港近くのたくさんの灯りが飛行機の窓から見えた時はとても嬉しかったです。
今回、学会発表はできなかったですが、安全の有り難さを思うことができました。しかし、あちこちで自然災害が多いので、日本は本当に安全だと言える場所はないのかもしれません。水、食料は言うまでもなく、携帯の非常用バッテリー、懐中電灯、ビニール袋、ウェットティッシュは宿泊する出張の際には持っていった方がいいかもしれません。今回失敗したなと思うことを今後は備えて行きたいと思いますし、私の体験が皆様の非常時の備えの何かの役にたてばと思います。
まだまだ、余震が続き、北海道の皆様は不安が尽きないと思います。一日も早い復旧を願います。
写真は4月に私の家族となったジャックラッセルテリアの大福です。男の子で今は9か月になりました。とても活発で疲れ知らずですが、どんな時でも私を見ると飛びついてきてくれる愛らしい存在で、毎日癒されています。
今回の出張で帰宅した時も、深夜でも飛びついてきて熱烈に迎えてくれました。