第24話 流氷のオンザロック
- 2019年3月10日
- 院長・医局
先日2泊3日の旅程で知床半島に流氷を見にいってきました。
YSYCには“日本の世界自然遺産を訪れる会”というのがあって二年前は鹿児島県の屋久島に渡り縄文杉に会ってきました。今回の旅はその第二弾で、知床は四季折々に素晴らしい景色に出会える場所ですが、折角行くなら流氷の季節にとこの時期を選びました。学生時代からニセコやトマムそしてフラノなど北海道の有名なスキーエリアは何度も訪れてきましたが知床とは縁がなく、ましてや流氷の時期に訪れる機会はずっと無いだろうと諦めていただけに、今回の知床流氷ツアーは期待に満ちた旅でした。
第一陣は一行5人で、昼に羽田空港で待ち合わせ1時間半余りのフライトで道東の女満別空港に着陸しました。空港からはバスで目的地である知床半島ウトロまで2時間半の旅です。一面の雪景色と氷点下の寒さが遠くに来た旅情をかきたてました。内陸に位置する空港を出て網走湖、網走市街を越えるといよいよオホーツクの海沿いを走る道に出ます。国道と海の間の砂地には釧網本線という鉄道が走っているのですが、線路は今にも雪に埋まってしまいそうで、行き帰りともに一度も電車とすれ違うことはありませんでした。寒々とした海だけが続く荒涼とした風景ですが、過ぎ去っていく景色を見飽きることなく眺めていました。
サイの角のようにオホーツク海に突き出した知床半島の付け根にある斜里町に入ると北国の弱い陽ざしを鈍く反射する灰色の海にジグゾーパズルのピースのようないろいろな形をした氷塊が見え始めました。徐々に数を増していく流氷は所々で入江を埋め尽し、白い回廊が遥か沖合まで続いていました。シベリア、アムール川河口周辺でできた氷が長い旅路の果てに行きつく南限が知床の流氷だそうです。天気の荒れる北からの季節風が吹けば岸に打ち寄せ、南風が吹けば岸から離れていくそうです。流氷という自然の防波堤に守られた内側の海が波ひとつなく鏡のように静かなことがとても印象的でした。
お昼に羽田空港を出発した旅もウトロにある宿に着く頃には日も沈みかける時間になっていました。ウトロへ急ぐバスの車窓には、オホーツクの海をオレンジ色に染めながら、自らの姿を流氷の海に映し込み沈んでいく夕陽が美しく輝いていました。
いつの頃だったか記憶は定かではないのですが、YSYCの研究スタッフと酒を飲みながら研究テーマについての話を聞いていました。世界中の誰もまだ手をつけていない難しいけれど夢とロマンに溢れた研究がうまくいったら、流氷でオンザロックを作り乾杯しようと語り合った記憶があります。その時は流氷の海の具体的なイメージはなかったのですが、こんな夕焼けの流氷の海を見ながら海岸にたたずみ、流氷のオンザロックで彼と祝杯を挙げることができたら、きっと天の雫の味に心が震えると思います。
そんな思いとともに、バスはウトロに到着しました。
夜の原生林をかんじきを履いて散策し暗闇の静寂と雪の感触を楽しみ、凍てつく寒風の吹き抜ける雪原を歩きシマフクロウやモモンガを探し、そして、ボディスーツに身を包み流氷プールに入り童心にかえり歓声を上げました。
大自然に包まれ、新鮮で豊富な食材を堪能できた素敵な時間を過ごすことができました。
ネイチャーツアーの終わりに、ガイドさんが優に100頭を超えるエゾシカが柵の中に入れられている場所に連れて行ってくれました。柵に近寄る私たちをシカの群れは悲しい目をして追っていました。オオカミが絶滅してシカが増えすぎた結果、餌がなくなる冬に木の皮までを剥いで食べてしまうそうです。その結果、森が枯れ世界遺産の知床の生態系(エコ)も破壊されているのだそうです。そのため、間引きのために捕獲し、肉をハンバーグなど名産品にして道の駅で販売しているとガイドさんは淡々と説明していました。どこか収容所のような異様な雰囲気の理由が納得できたように思いました。さきほどまで森の中にいるエゾシカを双眼鏡で見つけて歓声を上げていた自分たちはいったい何だったんだろうと不思議な気持ちが心の中に残りました。エコというより人間のエゴを感じさせられた寂しい光景でした。何事につけ、すべてを綺麗ごとだけでは済ますことはできないものだと改めて思わされました。
帰路のオホーツクは明るく晴れ上がり、青い空を背景に流氷の白が眩しく輝いていました。とても短い滞在でしたが、数々の記憶に残る美しい表情を見せてくれたオホーツクの神様に心から感謝したいと思います。
空港までのバスに揺られながら都会では得られることのない自然の恵みに別れを惜しみました。
2019年3月9日 院長 山下直樹