「軽井沢の香り-第34回日本受精着床学会での発表-」
- 2016年9月17日
- 研究室
葡萄が美味しく秋に近づくこの頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
9月3週目は学会週間でした。
麻布大学で11日から15日に開催された繁殖生物学会で学会発表、そのまま15日から16日に軽井沢で開催された日本受精着床学会で学会発表をしてきました。
繁殖生物学会では、大学時代の同級生と会うことができました。同級生と話していたのは、この学会で発表する同級生は君と僕と合わせて3人になってしまったね、でした。
繁殖生物学会は現在、培養士になっている方々のうち、大学生時代に発表してきた人も多い学会です。私が初の学会発表したのもこの学会でした。同級生と同じ机で発表を聴いていると、タイムスリップしたような感じもしました。
懐かしい先生たちにもたくさん会えましたし、ヒトのデータは私の発表しかありませんでしたが、基礎の先生たちからいろいろな質問をいただいて、とても勉強になりました。
15日の朝に軽井沢に移動し、お昼から発表したのが日本受精着床学会です。同僚たちも一緒に来てくれて、発表をみてくれました。学会に来るのは初めてだと言っていた同僚たちに見てもらえてうれしかったです。
私が今回の受精着床学会で最も聴きたかった発表は、PGDによりお子さんを授かった方の「喜びと葛藤の狭間で・・・」という発表でした。
彼女は自然妊娠により第一子目の男の子のお子さんを授かりましたが、「先天性福山型筋ジストロフィー」と診断され、息子さんとの闘病生活を7年間送ります。息子さんが亡くなられた後、再び自然妊娠されますが、羊水検査の結果、出産を断念。その後、2回自然妊娠されますが、いずれも検査の結果、出産を断念。医師からこれ以上、自然妊娠と中絶を繰り返すのは母体のためによくないと言われ、説明を受けた結果としてPGDという道を選択されます。障害を持つお子さんを育てた自分、一方で障害のないこどもを望む自分、その気持ちの間で葛藤を繰り返し、PGDを行った胚移植の結果、お子さんを出産されました。
最先端技術の恩恵を受けたけれど、今でも悩む自分がいる、とお話されていました。
私は、最前列の真ん中、という席に座りましたが、どうにもこうにも涙がずっと止まらず、目元をぬぐいながら彼女の講演を聴きました。座長の先生、発表されている彼女がこちらを見たような気がしましたので、驚かれたと思います。泣くのはとても失礼だろうと思うのですが。
私はPGDやPGSのための分割胚や胚盤胞でのバイオプシーのデモンストレーターとして、技術を他の培養士の皆さんにお伝えする機会があります。技術的にお伝えすることはできますが、このシンポジウムでご自身のことをお話された患者さんの思い、どうしてもPGDが必要な方々の思い、は私には当事者ではないのでお伝えしても軽いものになってしまいます。
当院に通われている方、このブログを読んでいただいている方にも、ご自身のことを発表された彼女の勇気と願いをお伝えしたく、書きました。
研究や技術の先にあるもの、それは医療側だけでなく、患者さんもずっと考えていかなければならない、と思います。
写真は学会会場近くで撮影してもらった私です。軽井沢は霧も多く、寒かったのですが、晴れてくると木々の心地よい香りのする場所でした。