第6話 “人生という名の楽器”
- 2013年5月10日
- 院長・医局
2009.04.16.に思うこと
学生時代の六年間ずっとクラッシックギターを習っていました。哀愁を帯びたフラメンコギターを聴いたことがギターを習い始めたきっかけですが、そのうちクラッシックギター界の巨匠アンドレス・セゴビアの魔術的な演奏の洗礼を受け、家庭教師のバイト代をせっせと貯めて買ったホセラミレスのクラッシクギターを毎晩夜遅くまで弾き続けていました。
医師になってからは、人生の溜息のような悲哀と体が痺れてくるような艶とを併せ持つテナーサックスの音色に魅せられ、これまた給料を貯めてセルマーのサックスを買い、病院の勤務明けに金沢の街中を流れる犀川の河原へ行き夕暮れまで吹いていました。
特に音楽的な才能に恵まれていたわけでもない私ですが、振り返れば幼少期に習わされていたオルガンやバイオリンを皮切りに、クラッシクギターやサックスに至るまで、傍らにはいつも楽器がありました。
二十歳ぐらいの頃だったと思います。知人からピアノの発表会のチケットを半ば強制的に買わされました。ちょうどその日時がとりわけ予定もない日曜の昼下がりだったために、暇つぶし半分義理半分で会場に足を運びました。思いのほか広く、立派な音響設備が整ったホールの舞台中央には、大きなグランドピアノがダウンライトの光を美しく映していました。開演のブザーがなり、可愛く着飾った3,4歳の子供さん達から学生さん、社会人の順で日頃の練習の成果を披露していきました。ピアノ教室の生徒さんたちの演奏が終了すると、トリはゲストの男性の演奏でした。彼は子供の頃からピアノの才能の誉れ高く、将来はプロのピアニストになることを誰からも嘱望された人でした。しかし、天は二物を与えたといいますか、学業も非常に優秀で一流大学を卒業し、商社マンとして世界を股にかけてバリバリ仕事をしていました。そんなタキシード姿の男前の彼がピアノに対座し、ゆっくりと鍵盤に手を添え演奏を始めると会場のざわついた雰囲気がスーッと変わっていきました。今までと同じピアノを弾いているのだろうかと誰もが訝るほどピアノから流れてくる音色は重厚かつ繊細で聴衆の琴線に触れるものでした。その時、“彼に弾かれてピアノが喜んでいるみたいだ!”と心の中で呟いたことを今も鮮明に覚えています。彼だけは別世界にいました。そして、一体化した彼とピアノが紡ぎだす音色は老若男女を問わず観衆の心を魅了していきました。
“僕も彼みたいに人を感動させられる人間になりたい!” シンプルすぎて気恥ずかしいですが当時の私は純にそう願いました。
この経験が、私の傍にずっと楽器があった原体験になっていると思っています。
しかし残念ながら、私のホセラミレスもセルマーも私に弾かれた喜びを魅惑の音色に変えて表現してくれることは一度もありませんでした。恐らく、私の才能が絶対的に足りないうえに、自分なりに心を込めて練習してきたつもりですが、量、質ともにそれ以上の練習が必要だったのだろうと思っています。
人の心を動かすには、誰かに感動してもらうには身を削るような努力が必要だということをいろいろな楽器から教えてもらったと思います。
そういうわけで、現在のところ音楽で人を感動させたいという私の願いは風前の灯状態です。
2009年4月16日、今から4年前に山下湘南夢クリニックを開院しました。資金もなければ、コネもない。職員さえも一から育てなければいけないという、文字通り無い無いづくしの開院でした。周囲からは“うまくいくはずがない、絶対に無理!”とまで陰口を叩かれました。確かに開院当初、一日の来院患者さんの数が0人という日もしばしばでした。乏しい運転資金はすぐに底をつき、開院三ヶ月目の7月には“困ったときの足しにしたらいいよ。”と言って年老いた母が私に渡してくれた開院祝いにまで手をつけなければいけない切羽詰った状態に陥りました。生来“頑張っていれば何とかなるよ”的な楽観主義者の私ですが、このときばかりは母のありがたさが身に染みるととともに、胃がシクシク痛んでなかなか寝付けなかったことを思い出します。
幸いなことに、YSYCはその翌月からは黒字に転じ、以後は右肩上がりに成長し、無事開院4周年を迎えることができたわけです。
友人から“そんな苦労して、休みなく働いて、何故開業する道を選んだのか?人生を楽しめる時期は短いよ。もっと自分の人生をエンジョイすればいいのに。”とよく問われることがあります。そんな時、YSYCの開院理念である“最先端の医療を 最高の技術で 心穏やかに 受けることのできる施設を創るという自分の夢を実現するため”と私は答えます。そして、“誰かに感動してもらえるような人生を送りたいとずっと思ってきた。その思いを叶える場所がYSYCだと思っている。”と付け加えることにしています。
不断の努力をしていればいつか神様が微笑んでくれて、私の人生が素敵な音色を奏ではじめ、誰かがその生き方に感動してくれる。そんな瞬間を味わえたらとても幸せだろうなと思います。
追記)この仕事から引退する時、私を支えてくれた人達にガブリエル・フォーレの“夢のあとに”をチェロで演奏することが私の最後の夢です。風前となった灯を再び燃え上がらせたいと今から企んでいます。
2013年5月10日 院長 山下直樹