第12話 憧憬の地へ                              |山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

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第12話 憧憬の地へ                              |山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

第12話 憧憬の地へ                              

Onde a terra acaba e o mar comeca
(ここで地終わり海始まる)

宮本輝さんの小説が好きで時間を見つけてはよく読んだ時代があります。
彼の作品は人間性をテーマとしたものが多く、生き生きとした筆致で登場人物の心の機微がうまく描かれています。その中のひとつに“ここで地終わり海始まる”という小説があります。この何かが大きく変わることを予感させるけれど、なかなか思いつかない不思議な題名に惹かれて立ち寄った書店でこの本を買いました。
結核を患い青春時代をずっと療養所で過ごしてきた純粋無垢な女性と、すさんだ人生を無為に送っている男性ミュージシャンとの運命のいたずらが起こした出会いの物語です。詳細な内容はもううる覚えですが、語られる文章が美しく、人間愛に満ちていて読後、爽やかな気持ちになったことを覚えています。

丁度、この本を読んだ頃と時を重ねて、鈴木雅之さんのSee She SeaというCDアルバムを買いました。鈴木雅之さんは楽器でいえばアルトサックスのようなハスキーでセクシーな声の持ち主で、バラードを切々と歌いあげる私の好きな男性ボーカリストのひとりです。
このアルバムのB面の最後のほうに“ここで地終わり海始まる”という曲が入っています。
アルバムに収録されている位置から推察すると、この曲はそれほど期待されていなかったようですが、見覚えのある曲名に誘われてこの曲から聞き始めました。

柔らかな乳房に少し触れてみた。悪戯な僕の目に君は少し微笑んだ
十六夜の月明かり背中を照らした。海猫の鳴き声が夜の終わり告げている
・・・・・・・・・
ここで地終わり、海始まる
君は海、二人の愛はここに流れる

ハスキーな歌声が切ないメロディーと相俟って、今でもついつい口ずさんでしまうほどに深く心に浸みわたりました。

“ここで地終わり海始まる”小説の題名にもあったこの一節が曲名と偶然一致したのだろうか不思議に思い調べたところ、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩に由来していることを知りました。そして、ユーラシア大陸の西の果て―長い旅路の果てにたどり着く―ポルトガルのロカ岬にこの一節を刻んだ石碑が建っていることも知りました。

その時からロカ岬は私の心の中でいつかは訪れてみたい憧憬の地となりました。
しかし、憧憬の地を旅行で訪れるのはあまりにもたやすくもったいないように思えます。
何か自分の夢を叶えたその時に、丁度その場所に立っていられたらどんなにドラマティックだろうと考えてきました。

そして、そのチャンスがようやく2015年6月に巡ってきたのです。

ヨーロッパ生殖医学会(ESHRE)は不妊治療に携わる医師、研究者が集う学会では世界一の学会です。日本からの研究発表の投稿がアクセプトされる確率は30%ほどで非常に難関です。学会の発表形式には大きく分けて口演発表(オーラル)とポスター発表(ポスター)があります。オーラルは文字通り世界中から集まった医師、研究者の前で英語で自分の研究をプレゼンテーションします。ポスターは研究内容をまとめたポスターを予め作成し、学会会場に掲示し、ポスターを見て関心を持った研究者と1対1で問答する発表形式です。研究内容の注目度や発表の際の緊張度はオーラルがポスターの比ではありません。ESHREで自分の研究をオーラルで発表するというのが私の夢でした。そして、2005年デンマーク・コペンハーゲン、2006年チェコ・プラハそして2007年フランス・リヨンと三年連続異なった研究テーマを投稿し、三回ともポスターでアクセプトされ発表してきました。休みのない超多忙な臨床の合間のわずかな時間を見つけて、研究はもちろん統計処理から、英訳まですべてひとりでやったのだから“よく頑張ったものだ。自信にしたらいいよ”と激励してくれる自分と、“結局はオーラルに採用されずそれが自分の限界なんだよ”と自嘲する自分がいます。その後は、開業準備、クリニックの運営に追われる日々が続き、オーラル発表の夢は未だ果たせぬまま、大きなわだかまりとして私の心の中に存在してきました。
YSYC設立後は―YSYCは私の化身だと考えていますから―YSYCのメンバーの誰かがESHREでオーラル発表できたら、自分のことのように嬉しく、夢のひとつが叶ったように思えるようになりました。

2015年のESHREはポルトガルのリスボンで開催され、YSYC研究室の研究がポスター発表に選ばれました。ESHRE挑戦への第一歩が数年の空白を経て再び踏み出されたのです。現在、YSYC研究室と培養室が進めている研究は各方面から注目されており優秀な研究です。研究内容が熟成されれば、ESHREでオーラルに採択される日も遠くないと確信しています。

発表の翌日、憧憬の地ロカ岬を訪れました。
海風に吹かれながら石碑のある岬に続く小路を歩んでいると、思わず心が震えて目頭が熱くなるのを感じました。長い長い道程の果てにようやく憧憬の地にたどり着いたように感じました。そして、こんな感動を感じることができて自分は幸せ者だと思いました。

Onde a terra acaba e o mar comeca

まばゆい陽光の中、夢につながる海が穏やかな円弧を描いて眼前に広がっていました。

2015年12月30日 院長 山下直樹