第20話 グランドホテルと大理石のブレスレット
- 2018年4月23日
- 院長・医局
4月12日から3泊4日の旅程で台湾の台北で開催されたアジア太平洋生殖医学会ASPIREに一行四人で出席してきました。YSYCからは口演が1題とポスターが2題採択され発表しました。私にとっては2度目の台北ですが、庶民的な優しさとバイタリティーに溢れたこの街には特別な思い入れがあります。
“山下君、一緒に台湾に行かないか?”
2002年、以前勤務していたクリニックで診察中の私に故加藤修院長が声をかけました。
“台北で学会があるんだ。学会長の息子がジャイアンツの松井の大ファンでな。松井のサインバットを持って行ってプレゼントしようと思う。どうだ?”
“わかりました。”
片手にトランク、もう一方の手にサイン入りバットを持って、突然の台北行きが決まりました。もう、ずいぶん昔のことなので、旅の詳細はほとんど思い出せないのですが、二つの思い出が私の心の中に強く残っています。
台北の宿泊先はグランドホテル〈円山大飯店〉という名のホテルでした。空港からホテルまでの道中、タクシードライバーはこのホテルは台湾の総統だった蒋介石ゆかりの由緒ある建物でそれはそれは素晴らしいホテルだと自分の家でも自慢するかのように繰り返し話してくれました。渋滞した街を抜け、小高い丘を登るとそのホテルは忽然と極彩色の大仏殿のような姿を現しました。
ロータリーでタクシーから降りるとその堂々とした風格に圧倒されました。朱色の大円柱が立ち並ぶ吹き抜けのロビー。赤い絨毯が敷きつめられた正面階段。ドライバーが誇らしげに語り続けた理由が納得できたように思いました。
“山下君、いいホテルだな。わしはスイートにグレードアップしてもらう。山下君はわしの予約した部屋に泊まったらいい。”フロントで予約変更の交渉をしながら加藤院長が言いました。
ポーターに案内された部屋には金色の擬宝珠のついた朱色の欄干で囲まれた広いベランダがあり台北市内が一望できました。一人では不安になるほどの余裕と広さのある部屋でした。
翌日、学会長にサイン入りバットを渡し終えると、“じゃあ、わし帰るわ。あと、頼むな。”と言葉を残して加藤院長は予定より早く学会場を後にしました。
3日間の学会日程を終えてホテルをチェックアウトする際に、正面階段の下まで歩いていき、赤い絨毯の敷かれた階段を見上げました。最上段まで登りたい衝動にかられましたが、少し気後れがして登ることのないままホテルを後にしました。ターミネーターならきっと“I will be back.”と呟いたと思います。いつか自分の力でこの場所に戻ってきたいという思いが強く私の心の中に湧き上がってきました。
帰国のフライトまでずいぶん時間があったので、空港で台湾の東海岸の町、花蓮の近くにある太魯閣(タールーコー)渓谷へ行く現地ツアーを申し込みました。欧米人のバックパッカーばかりのツアーで小さなバスに乗りこみ、スーツ姿の私は誰と話すこともなく車窓を流れていく異国の景色を眺めながらバスに揺られました。
到着した場所は絶壁に中国寺院のある深い渓谷で大理石の産地でした。いくつかの名所を観光した後、ツアーにはお決まりの土産物屋での買い物タイムとなりました。ショッピングにはあまり関心のない私ですが、この時の土産物屋のおじさんと交わした会話は10数年たった今でも記憶に残っています。
“おにいさん、日本から来たの?ここの大理石は魔法の力を秘めているんだよ。身につけているとおにいさんを守ってくれる。このブレスレットどうだい?どんな病気も治してくれるよ。お買い得だよ!”
と大理石の工芸品であふれた店の中から丸顔の恰幅のいいおじさんが顔を出しました。はじめは、言葉がわからない振りをしてやり過ごしていたのですが、あんまり熱心に話しかけてくるので
“本当に病気を治してくれるのですか?”
と尋ねました。
当時、私の父は原因不明の腎臓機能の低下で金沢の病院で入院していました。金沢に帰り父を見舞う度に弱っていくのが目に見えてわかる状態で、ある日主治医から“敗血症を併発していて難しいかもしれません”と告げられました。入院後、ずっと意識が朦朧とした状態で寝たきりだったため、父の足はやせ細りくの字に拘縮していました。その足を母と代わるがわるさすりながら、“もう元気になることはないのかもしれないね”と会話を交わしていたそのような状況の中での台湾行きでした。
“実は、今父がひどい病気で死線を彷徨っています。このブレスレットで助かりますか?”と言葉をつなぎました。
気の良さそうなおじさんは少し慌てたように、そして、急に弱気になった表情で“ああ、効くとも。そんな人が何人も治ったよ…。わざわざ日本から来てくれたから、半額にまけとくよ。”と答えました。
おじさんの悪気の無さに動かされ、粗末な小さな紙袋に入った黒い大理石をつないだ細いブレスレットをスーツのポケットに入れて帰りのバスに乗り込みました。
帰国後、相変わらずの状態の父の手首に買ってきたブレスレットを通しました。
細いブレスレットが父の痩せた手首には丁度の大きさでした。
それから数か月後、大理石の御利益があったのか、父は回復し退院の日を迎えるまでになりました。母の話では、父は意識が戻った後も退院する日までブレスレットを大切そうにずっとつけていたそうです。
母は二年前に他界しました。置いてきぼりになった父は、母の死を拒絶するように入所施設のエレベーターホールに置かれたベンチに腰かけ、エレベーターの扉が開くと母が現れると信じているかのように毎日母を待ち続けています。
そんな父の姿がブレスレットをつけていた頃の姿と重なると、改めて人生は不思議なものだなと感じます。
ASPIREでの発表は中国やインドネシアの研究者が熱心に質問に来て、今後も連絡を取り合い技術を提供することになり、YSYCの研究を知ってもらい広めていく良いきっかけとなりました。
会場と宿舎の行き来の便を考え、最初の二泊は会場近くのシティホテルに宿泊したのですが、最後の宿泊先はグランドホテルの各階に四つしかない広いベランダのついた角部屋を四部屋予約しました。
帰国の日の朝、ベランダに出て、人々の熱気と優しさを凝縮するように低く垂れこめた梅雨空の下に広がる台北の街並みを眺めていました。
それから、ロビーに降りて正面階段を一段一段踏みしめながら登り、最上段からの眺めを瞼の奥にしまってホテルを後にしました。
長い間の夢がかない、ようやくこの街を卒業できたように思います。
2018年4月22日 院長 山下 直樹