第26話 さよなら、サクラ🐶
- 2019年10月26日
- 院長・医局
去る8月29日に愛犬のサクラが亡くなりました。
サクラは、私が16年前に大阪のクリニックで勤務することになった時飼い始めたミニチュアダックスフンドです。
ゴールドの毛並みの小柄なミニチュアダックスを希望してダックス専門のブリーダーを訪れると、ほぼ希望通りの毛色と体格をした子犬を見せてくれました。しかし、素人目にも病弱そうで、抱き上げると手の中でうずくまり、小さく震えていました。
「可愛いけど、ちょっと元気がなさそうですね。」
と尋ねる私に
「いや、生まれたての子犬はみんなこんなもんだよ。」
とブリーダーさんは答えました。
そんな立ち話を交わす私たちの足元に置かれた段ボールの中で、ぴょんぴょん飛び跳ねている仔犬がいました。手を差し出すと指先をぺろぺろ舐めて愛嬌たっぷりにクルクル回って、まるで私を連れてってと主張しているようでした。
「このワンちゃん元気ですね。ちょっと毛色が濃くてレッドみたいけどこの子犬もゴールドですか?」
と尋ねると、
「成犬になると毛色がだんだん薄くなってくるからこの犬もゴールドになるよ。体格も育て方次第でいくらでも華奢にできるよ。」
と返事が返ってきました。
毛色と体格は希望通りではなかったのですが、小さな顔に不釣り合いなほどの大きな垂れ耳とクリクリしたつぶらな瞳が可愛くて、この子犬を連れて帰ることにしました。それが、サクラとの出会いでした。
帰り道の電車で、膝に乗せた段ボールに開けた空気穴から小さな鼻先を出して外の気配をしきりにうかがっているサクラの仕草が、他のお客さんの微笑みを誘いました。
住まいのあった兵庫県西宮市夙川は、六甲山から香櫨園浜に注ぐ夙川の両岸に立派な桜並木のある遊歩道が整備され、花見の頃には桜色の帯が川を縁取るように山から海まで続く美しい所でした。
当時の私は勤務を終えて帰宅すると片手にテニスラケットを持ち、夙川の河岸をまず山へ向かい折り返して海までジョギングし、防波堤のコンクリート壁でテニスの壁打ちをすることを日課にしていました。そのため、サクラの足腰がしっかりしてきた頃から散歩がてらに私の日課にサクラを付き合わせることにしました。
散歩の途中、見た目にも上品で高価そうな毛並みのダックスを連れているおじさんから、“ダックスは腰椎ヘルニアになりやすいから階段の上り下りはさせちゃいけない。段差は抱き上げるように注意しないといけないよ。”とアドバイスを受けながらも、サクラは歩道橋の階段を勢いよく駆け上がり駆け下り、桜並木の下を疾走し、六甲山の岩山をずり落ちそうになりながらもガッツで制覇し、海に着くとためらうことなく飛び込み、砂浜で砂まみれになってはしゃいでいました。海から心地よい風が吹くとサクラの大きな垂れ耳は風にたなびいて、このまま空に舞いあがってどこか行ってしまうのではないかと思いました。
上品とか華麗などとは無縁なサクラでしたが、クリクリした目と優しい気立てで、すれ違う人から“可愛いワンちゃんですね。”とよく声をかけられたものでした。
夙川から新宿そして藤沢と私の勤務地が変わっても、サクラは変わることなくいつも私の傍にいてくれました。
病気ひとつせず元気さと食欲が取り柄のサクラでしたが、二年ほど前から急速に老いが忍び寄ってきました。眠っている時間が多くなりました。耳が遠くなり名前を呼んでも気づかなくなりました。最後までゴールドにはならなかったレッドの毛並みも口吻の周囲に白毛が目立つようになり老犬らしい風貌になってきました。散歩に出てもよたよた重そうで、すぐに立ち止まり“もう、しんどい”とでも言っているように上目遣いにこちらを見上げるので、抱いて帰ってくることも多くなりました。そして、乳癌の手術も受けました。
犬の一年は人間の六,七年にあたるそうですから、サクラも優に80才を越えたおばあさんです。サクラの変わりゆく姿を見ていると、年老いていくことがどういうものなのか、早送りのビデオを間近で見せてもらったような気がします。
様々な感覚や能力が失われていく中で、サクラらしく食欲は晩年まで衰えを知りませんでした。ドッグフードだけしか与えないと“ウー、ワン(えー、何これ!!)”と一言文句を言ってからしぶしぶ食べ始めました。私が帰宅するとなにかおやつがもらえるはずだと考えて、ヨタヨタした足取りで私の後をストーカーのようについて回りました。私が風呂に入っている時は浴室のドアの外で忠犬ハチ公よろしくじっと待っていました。私にはよく怒られたものですが、サクラは私のことをとても慕ってくれたように思います。
そんなサクラとの穏やかな日々は突然に幕を閉じることになりました。
家を空ける用事がありペットホテルに預けたサクラを迎えに行く日、ペットホテルから“サクラちゃんの呼吸が止まって心停止が来ています。今からすぐに動物病院へ連れて行きます”と連絡が入りました。クリニックの診療を終えて動物病院に駆けつけるとサクラは緊急蘇生を受け一命はとりとめたもののビニールで覆われた酸素室で浅い息を頻回にしながら空ろな目をして横たわっていました。
“運ばれてきた時は心停止が来ていて、蘇生で回復しましたが、いつ亡くなってもおかしくない状態です。病院の方で様子を見て何かあったらすぐにお知らせするのでもよいですし、お家に連れて帰って家族の方で見守って下さってもよいです。”
と獣医さんは話されました。
サクラには温かな環境の中で旅立ってほしかったので、酸素室一式を車で運んでもらい家に連れて帰ることにしました。家に着くと、見慣れた景色、いつもの匂いに元気づけられたのかサクラは頭を持ち上げたり、少しだけ立ち上がったりしました。そして、我が家に初めてやって来た日、車中で段ボールから鼻先をのぞかせていた時と同じように、酸素室の扉から乾いた鼻先を出して辺りの様子を懐かしんでいました。
浅い呼吸の度に波打つお腹や、端の方が縮れて面影の無くなってしまった垂れ耳を撫ぜているとサクラとの様々な思い出が蘇ってきました。
翌日、診療を早目に切り上げて六時少し前に帰宅するとサクラは横たわりながら私を迎えてくれました。そして、着替える間もなく六時十分に、私の帰宅を待っていてくれたかのように下顎呼吸を3-4回した後、潔いほどにあっさりと息を引き取りました。
16回目の誕生日を翌日に控えた夕刻でした。
葬式の日、斎場の方が「小型犬の老犬は焼くと骨が薄くて簡単に割ることができるんですけど、とてもしっかりした骨のワンちゃんですね。」と驚いていました。その言葉を聞いて、サクラのことを誇らしく思いました。
サクラがいなくなって早や二か月になります。
帰宅しても、ヨタヨタとした足取りでストーカーされることもなければ、温かい毛並みを撫ぜることも叶わなくなりました。けれども、浴室の扉の向こうには今でもサクラが待っていてくれるように思います。サクラは家族それぞれの心の中に、いろいろな形をした記憶としてしっかりと生き続けていると思います。
私の父は三年前に亡くなった母がまだ生きていると信じていて、私の顔を見るたびに“かあさんは?”と尋ねます。その度に、母は父の記憶の中で間違いなく今も生きているんだと感じさせられます。
死というものは絶対の別れのように言われます。しかし、残された人々の心の中に、記憶に姿を変えて生き続けるのだと思います。きっと、その人のことを思い、記憶する人が誰もいなくなった時、本当の死が訪れ、人は無に帰っていくような気がします。
死というものがどういうものなのか、最近少しだけわかってきたように思います。
2019年10月25日 院長 山下直樹