第28話 今を味わう
- 2020年4月28日
- 院長・医局
若い頃から時間通りに予定を済ませることにこだわるところがあって、予定通りに事が運ぶととても充実した気持ちになれます。
医師になり時間に追われる毎日を送るようになってからは、なおさらその傾向が強くなりました。予定がたくさん詰まっていても、何時何分までにこれをして、それから何時何分までにあれを済ませて、予定時刻通りに仕事を終えるというように、段取りを組みいつも一つ先、二つ先のことを考えて仕事をしてきました。心と頭の準備をして事に臨んでいると、たとえ突発的なことに出くわしても多くの場合筋書通りに事を運ぶことができたように思います。
産婦人科の手術を数多くしてきましたが、手術の時も何時までに臓器を摘出し、何時までにリンパ節を隔清し、予定時刻通りに創を閉じて終了するというように、滞ることなく流れるように、そして静かに進んでいく手術を理想の手術として常に心がけてきました。
一見タイムテーブル通りに物事を進めることは、時間を優先してしまいやるべきことをおざなりにしがちなように聞こえますが、できるところは徹底的に、危ないところは必要以上に執着せずに見切りをつける勇気を持ち、滞ることなくパニックに陥らないように進めた方が結果的には良い手術になることを肌で感じてきました。
画家や文筆家のように一人でする仕事なら自分が納得するまで一筆のタッチや、一字一句にこだわり、妥協せずに時間を使えばよいと思いますが、チームワークで行う仕事では自分のペースだけで仕事を進めることは、周りのスタッフの集中力と協調性がどんどん薄れていき、得てして誰も満足のいかない仕事になりがちです。
これは、ちょうどオーケストラと同じで、指揮者だけが独り力んで自分の思い通りにタクトを振っても演奏者との間で気持ちが共有できなければ、美しいハーモニーを紡ぎ出すことができないのと同じだと思います。
何事も先を読み、そして周囲との調和を忘れないことが良い仕事をするためにとても大切であると私は考えています。しかし、そのような生活を何十年も送ってくると一種の職業病のようなもので、日常の会話や食事などを含めて何をするにつけても、その時やっていることに夢中にならず、少し冷めたところで次の時間のことを考えている自分がいることに気づかされます。
終わりの見えないCOVID-19の世界的な流行は、世界中の人々の考え方、生き方に大きな影響を与えたように思います。
豪華なクルーズ船で世界を旅して人生の幸福を享受していた老夫婦が数週間後には予期せぬ別れを迎えたり、ついこの間まで元気に笑いを振りまいていた芸能人の訃報のテロップが突然テレビ画面に流れたり、さらに心痛むのは、長い間介護してきた親や長年連れ添ってきた伴侶に闘病の激励をすることも臨終に立ち会うことも許されず、再びの対面が小さな木箱に収められた遺骨とであったり、やりきれない不合理と深い悲しみと人生のはかなさを感じさせられる日々が続いています。
一か月後に世の中がどうなっているのかわからない、仕事があるのか、自分が生きているのかさえわからない、この不確実な状況は誰にとっても息が詰まるような苦しい時間です。そして、予定通りに時間を送ることが身に沁み込んでしまった私にとってもとてもストレスが溜まる時間となりました。
けれども、誰に文句を言っても怒りをぶつけてもCOVID-19の蔓延を解決できるわけではなく、変わらずに流れていく時間の中で自分自身がどのように生きるかを考えるのが一番の良策のように思います。
そこで、先のことばかり考えて、今を心から楽しまなくなった自分の時間の過ごし方をリセットしようと考えました。
食事は一口を食べたら口の中にある間は次の一口を口に入れない。
目を閉じて噛みしめていると、この食材はこんな味がしたんだと新鮮な発見が一噛み毎に滲み出てきます。
道端に花をつけている野草に足を止めて目をやる。
昨日はハコベ、今日はヒメジオン。自然の造形の素晴らしさに改めて驚かされます。
スマホから目を離し、車窓を流れていく穏やかな里山の風景を眺める。
祖父母の家で過ごした懐かしい記憶が蘇ってきます。
そして、家族との会話に無心に耳を傾ける。
今を無事に生きている感謝の気持ちが湧いてきます。
時の流れの中に浮かんでいる自分の心を、明日そして将来から今日そして今この時にシフトすると、子供の頃に失くしてしまった今を味わう豊かな時間の過ごし方が蘇ってくるような気がします。
“一生の間にこんな時を経験できてよかったのかもしれない”と少しでも振り返れるように、強くそして柔軟な気持ちを持ってCOVID-19終息の日を待ちたいと思います。
皆様の健康を心からお祈りしています。
2020年4月28日 院長 山下直樹