第32話 時は流れて
- 2021年5月23日
- 院長・医局
ちょうど50年前、亡くなった両親がふたりで力を合わせて家を建てました。
金沢市の街中にある金沢城公園や兼六園から続く本多の森の一角に土地を買い、そこで自分たちの夢を作り上げました。前半分が屋上がベランダになっている鉄筋づくり、後ろ半分が和風の木造づくりという当時としては洒落た造作の大きな建物でした。庭には山紅葉や五葉松に囲まれて池があり、石組みの間から流れ落ちる滝の下を錦鯉がゆったりと泳いでいました。
二階の裏手にあった私の部屋は窓を開けると本多の森の竹林が迫り、街中にもかかわらず春には筍が取れ、夏には蝉時雨が降り注ぎ、狸の親子が笹藪の間から顔を出す四季折々の風物詩に溢れる家でした。
兄と私が進学や就職で家を離れた後も、父は庭木の剪定や雑草取りそして冬の雪吊りなど庭の手入れに精を出し、母は手作りの木目込み人形やアートフラワーで家を飾りました。
5年前に母が亡くなり、時を同じくして介護施設に入所した父も再び家に帰ることなく昨年他界し、家は主を失ってしまいました。
空き家となった実家をできるだけ両親が住んでいた頃のままの姿で残していくことが一番の親孝行になるような気がして、月に二度藤沢から金沢に帰った際に実家の様子を見に行くようになりました。
玄関の扉を開けると、前に訪れた時と変わらない静まり返った空間が待っています。郵便受けから押し込まれ玄関に散乱したダイレクトメールが住む人のいない家の寂しさを募らせます。家中の窓を開けて二週間分の寂しさの浸みこんだ澱んだ空気を入れ替えます。世話をされなくなったこの家の私に対する恨み節なのか、窓や障子を開けようとしてもガタガタ、ギシギシ軋んだ音を立て、開けるのに苦労する箇所が増えていきました。
春と秋に植木屋に頼み庭木を剪定してもらいました。それでも、夏には雑草が生い茂り、雪吊りをしなかったために雪の重みで傷ついた枝が目立つようになりました。
“住む人のいない家は日に日に朽ちていく”
よく耳にする言葉ですが、実家を訪れる時間はこの言葉の重みを実感させられる時間となりました。
時の流れとともに、家も庭も端正のとれた美しい佇まいを急速に失っていきました。
風の強い日に裏木戸の扉がバタンバタン音を立ててうるさいので何とかしてほしい。
軒下にスズメバチが大きな巣を作っている。怖いから何とかしてほしい。
落ち葉が溝に詰まって後始末が大変だ。
などなど、近所の人たちから苦情が届くようになりました。
それでも、この家を残したいという義務感にも似た私の思いは強く、この5年間ご近所さんからの苦情にひとつひとつ対処し、容赦なく生えてくる雑草を刈り、空気を入れ替え、ダイレクトメールを処分してきました。
しかし、忍び寄る老朽化は止めようがありませんでした。手を入れて小さな旅館や料亭にでもした方が両親が大切にしてきた家や植栽を生かすことになるかもしれないと考え不動産屋に相談にも行きました。丁度、民泊ブームで買い手が現れ、話がまとまる寸前までいきましたが、コロナ騒ぎでそんな話も立ち消えになってしまいました。
今年の正月は例年にない大雪で、膝の高さまで積もった雪がベランダに長い間根雪となって残っていました。日差しが暖かくなり雪が融けた後も排水口が詰まったのかベランダはまるでプールのように一面に水を湛えていました。排水口にたまった落ち葉を取り除いて水を流さなければいけないと思いながらも、自然に蒸発して水がなくなってくれればと期待して、何もしない時間が過ぎていきました。
そんな矢先、いつものように実家を訪れ玄関の扉を開けると天井に大きな黒いシミが広がっていることに気づきました。嫌な予感を胸に、茶の間に入ると目を疑う光景が眼前に広がりました。茶の間一面に白い綿のようなものが敷きつめられ畳が見えなくなっていました。目を凝らすと白いカビが茶の間全体を覆いつくしているのでした。ベランダから天井に浸み込んだ水気の仕業であることは誰が見ても明らかでした。
気を取り直し、ほかの部屋の様子を見に行きました。
座敷に続く絨毯が敷かれた廊下の向こう端に小さな茶褐色の塊が横たわっていました。背筋に寒いもの感じながら近寄ってみると、それは雀の亡骸でした。どこから入ったのか、春の陽射しの中でそれはとてもとても寂しい姿でした。
この日見た光景は、私にこの家とお別れする時が来たことを納得させるのに十分なものでした。
実家を残したいという思いを叶えることができなかった無念さに早く踏ん切りをつけたくて、自宅に戻るとすぐに解体業者を探しました。
解体が始まりました。
3台のショベルカーの前では年老いた家は抵抗も空しく、驚くほどの速さでその姿を失っていきました。庭を飾った山紅葉や五葉松も、多くの人を迎えた応接間や座敷も、そして、学生時代を送った私の部屋もただの瓦礫となりダンプに積まれ運ばれていきました。
この場所で演じられた悲喜こもごも多くの思い出が、更地を吹き抜ける風と共に消し去られていくようでした。
“夏草や兵どもが夢のあと”
緑色のパイロンに囲まれ何もなくなった空き地を前に佇むと、芭蕉の句が心を通り過ぎていきました。
いろいろな人のいろいろな時間が流れて、そして、全てが跡形もなく消え去っていきました。
見知らぬ誰かがこの更地をキャンバスにして、新たな絵を描いていくのかもしれません。
2021年5月24日 院長 山下直樹