第30話 生命のバトン|山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

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第30話 生命のバトン|山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

第30話 生命のバトン

12月20日、日曜日の午前診療を終えて院長室に戻ると金沢から何度も着信が入っていました。折り返し連絡を入れると
“おじいちゃんが亡くなったって病院から連絡があったよ。”
涙声の長女が答えました。日曜の午後、一息つこうと思っていたのですが、急遽荷物をまとめ金沢に向かいました。
北へ向かうほど暗い雲が垂れ込める霙まじりの寒い日でした。

父は今年で92才になります。
酒好きで料理好きだった父は毎日のように台所に立っていましたが、歳とともに物忘れがひどくなり、ガスレンジの火を消し忘れて何度も鍋を焦がしていまい、火事が怖いと母がよく愚痴をこぼしていました。監視役の母が先に亡くなり、父は介護施設に入所することになりました。

二週間に一度、神奈川から金沢に帰り、母の墓前に花を添え、父に会いに行くことが私の恒例になりました。それから5年の月日が流れました。

私が見舞いに行った帰り際には、父は杖をついて部屋の入口まで出て“また来てね。”と手を振り、エレベーターのドアが閉まり私の姿が見えなくなるまで見送ってくれたものでした。

しかし、コロナの流行により、父の入所している施設でも面会することが難しくなり、時々入る施設からの連絡だけが父の便りを知る手段となりました。

耳も遠くなり、ほとんど誰とも話さず、食事以外は一日寝てばかりいる単調な生活の中で、父の認知症が進んでいくことが気がかりでした。

今年の夏のある日、父の入れ歯が無くなったと連絡が入りました。
新しい義歯を作るため歯科医の先生が何度か往診に来てくれたのですが、仕上げの段になって父は頑として口を開けようとしなくなり診察を拒みました。残された義歯は一度も使われることなく未完成のまま片づけられることになりました。
父の唯一の日課であり楽しみであった食事は、歯茎でしか食べ物を噛めないため流動食中心となりました。

それから間もなく、父が部屋で倒れて病院に救急搬送されたと連絡が入りました。

明け方トイレに行こうとして転倒したらしく、ベッド脇に倒れていたところを発見されたそうです。大腿骨を骨折しており、高齢のため手術には危険が伴うが、骨折部位を固定しないと痛みが取れないとの説明を受け、金属プレートで固定する手術を受けました。手術は無事に終了しましたが、それ以降、杖をついて歩く父の姿を見ることはできなくなりました。

介護度の上がった父はそれまで入所していた施設では介護できなくなり、特別養護老人ホームに入所することになりました。

新たな環境の中で、車椅子に座って日光浴をしている父の写真が送られてきました。穏やかな父の笑顔を見て、この2,3か月の大変な日々の中で、痛いとも辛いとも一言も弱音を吐かず乗り越えてきた父の強さに頭が下がる思いがしました。

しかし、そんな穏やかな日々も長くは続かず、食事を摂らなくなり、肺炎を起こし発熱を繰り返すようになりました。主治医からは“いつ急変されてもおかしくない状態です。”と告げられました。父の検査データは、内科が専門でない私にでも、父の生命の蝋燭が急激に短くなり、まもなく燃え尽きようとしていることがわかりました。

92才。山あり谷あり波乱万丈の人生だったけど生き尽くしたよね。
この歳まで生きられるなんて家族、親戚、誰一人想像できなかったよ。
酒も飲めず眠ることしかできない毎日にきっと退屈してるだろうね。
父のやせ細った顔を見るとそんな思いが私の心をよぎっていきました。

しかし、私の一人合点な納得を見透かしたように、9月に出産したばかりの長女が
“どうしてもおじいちゃんにひ孫の顔を見せてあげたい。そして、元気になってほしい。赤ちゃんって生気に溢れていて周りを元気にしてくれるから、おじいちゃん、ひ孫の顔を見たらきっと元気を取り戻すよ!お父さんから主治医の先生に会わせてくれるようお願いしてみてほしい。”
と請われました。
長女の温かい言葉に後押しされ、主治医にお願いすることにしました。

主治医の先生は事情を察し承諾してくださり、面会の準備を整えてくれました。

用意された感染防護服とフェースシールドを身につけて父の部屋に入りました。
“ずっと寝てばかりで声をかけてもあまり反応されませんよ。”と傾眠傾向の父の様子を看護師さんが話してくれました。

“父さん、久しぶりだね!会いに来たよ!今日は赤ちゃんを連れてきたよ。
赤ちゃん。ひ孫だよ!すごいね、父さん、わかるかい!”
父の耳元で話しかけました。

数か月ぶりに聴いた私の声がわかったのか父はうっすらと目を開けました。

長女は抱いていた赤ちゃんを父の枕元に降ろし、
“おじいちゃん、初めまして。ひ孫の佳永だよ。こんにちは、おじいちゃんに会いに来たよ。”
と声をかけました。
父は点滴で内出血の目立つ腕をゆっくりと伸ばし、丸々とした赤ちゃんの頬を撫で、それから小さな手を握りしめました。
そして、わかるよと答えるように小さく頷きました。

短い面会の時間を終えて防護服を脱ぎながら
“おじいちゃん、目が輝いていたよ。ひ孫だってわかったみたいね。”
“春になったらまた会わせたいね。きっと元気になるよ。”
嬉しそうに娘が話してくれました。

それからちょうど一か月、体を形作る細胞のすべてのエネルギーを使い果たしたように、父は静かに永遠の眠りについたそうです。この一か月の時間は、ひ孫からもらったプレゼントの時間だったのかもしれません。

小さな手を握りながらひ孫の顔を見つめる父の横顔は
“生きることは大変だよ。辛いこと沢山あるよ。けれど、良いこともいっぱいあるからね。頑張るんだよ。”
と魂の言葉を伝えていたように思われました。

遺骨を膝に乗せ斎場を後にする時、雪雷の予報にもかかわらず厚い雲の切れ間から青空がのぞいていました。

生命のバトンを渡してひとつの長いストーリーにピリオドが打たれました。

長い間、ご苦労様でした。そして、ありがとう。

追伸)主治医の先生がその時の写真をわざわざ撮って送ってきてくれました。
かけがえのない写真になると思います。

 

 

2020年12月29日 院長 山下直樹