第34話 薄氷|山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

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第34話 薄氷|山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

第34話 薄氷

先日、旧友のY君から電話がありました。
Y君は医学部の同期で、物事にこだわらない飄々とした性格で、群れることなく我が道を行くといった感じで学生時代を過ごしていました。
開業した時期が私とちょうど重なったことからお互いに連絡を取り合うようになりました。

“人生はたまたまだね。” 感慨深げな口調で彼は切り出しました。

開業医は体が資本なので彼は開業以来毎年健康診断を受けてきたそうです。
ただ、健診の精度には常々疑問を持っていて、今年はスケジュールを調整してまで健診を受けるかどうか迷っていたそうです。

そんなある日
“知り合いの病院に新しいCT装置が入って、短時間で全身のCTを撮ることができる。簡単に終わって、精度も高いし、都合を合わせてくれるそうだから一度受けてみたら”
と家族に勧められたそうです。

Y君は気乗りしなかったものの、たまたま都合が空いていたため重い腰を上げて検査を受けることにしたそうです。

検査の日、事前の説明の通りCT検査はものの10分ほどで終わり、検査結果を聞き診察室を出ようとした時
“Yさん、大腸の内視鏡検査は受けたことがありますか?”
と担当した医師が尋ねたそうです。
これまでの健診でも便の潜血検査は含まれていたものの、便秘がちで検体を提出するタイミングが合わなかったことから、ずっとキャンセルしてきたとY君が答えると
“大腸がんは最近非常に増えていて、女性では死因のトップ、男性でも三番になっています。Yさんも都合が合うときに一度やってみたらどうですか?”
と勧めてくれたそうです。

医師の説明を聞きながら、大腸がんの治療後に装着することのある人工肛門をつけている自分の姿が、何故かY君の頭をよぎったそうです。そして、“自分には無理かな”と思ったそうです。
“自分だけの命じゃないからね。病気とはある程度闘わなければいけないんだろうけど。でも、とことん闘おうとは思わないな。それが運命みたいな気もするし。”
Y君は学生時代と同じく、自分の健康にかかわることなのにまるで他人のことを話すような少し冷めた口調で続けました。

そんな彼ですから、普段なら “また機会があったらよろしくお願いします。”と礼を述べて席を立つのですが、その時は、どういう風の吹き回しか検査を受けてみようと思ったそうです。

大腸の内視鏡検査は肛門からファイバースコープを挿入して大腸を検査するため、便があると観察の邪魔になります。そのため、前日夕食からの絶食や多量の下剤の服用があったりでなかなか準備の大変な検査です。

早朝から繰り返し下剤を飲み何度もトイレに通いながら、やっぱり検査をキャンセルしようかとY君は何度も思いながらも、彼曰く“苦行を乗り越えて”病院にたどり着いたそうです。

“静脈麻酔が入るとパソコンがシャットダウンするように記憶が途絶えるんだよね。眠るというより空白。そして、“Yさん終わりましたよ。”という看護師さんの声が遠くからだんだん近づいてきて日常に戻ってくる感じだね。
それから、担当医が検査結果をモニターを見ながら話してくれる。自分の大腸の中の動画を他人みたいに見ながら説明を聞くって不思議なポジションだよね。
“大腸のひだの陰の見落としやすい場所に1㎝ほどの大きさのポリープがありました。大腸のポリープは大腸がんの前癌状態の可能性もありますから焼き切って、悪いものがないかどうか病理検査に出しておきました。病理の結果は後日連絡します” ”

“いつもの医師と患者の立場が入れ替わって、患者として病理組織を待つ気分はやっぱり違うもんだね。なんて言うんだろ、検査結果を解析してこれから治療をどうしようという医師としての頭ではなくて、ただシンプルに良い結果であればいいなって思うね。”

1週間後に結果のメールが届いてクリックすると
ポリープは癌の一つ手前の高度異形成でした。焼き切った断端には異形細胞は認めず取り切れていると考えられますのでご心配はいりません。
と書かれていたそうです。

Y君はその検査結果を読み返しながら、何故か背筋がぞくぞくする感覚を覚えたそうです。
“たまたまなんだよね。“たまたま”と“もし”の積み重ね。
たまたま家族が検査を勧めてくれて
たまたま予定が合って検査を受けて
もし、担当医がポリープの存在を見逃していたら
もし、高度異形ではなくて進行癌だったら

人生が大きく変わっていただろうね。病期が進んでから見つかったら、自分の性格じゃ病気と闘うこともないだろうしね。いろんな“たまたま”と“もし”が重なり合って人生は良きにも悪しきにも転んでいくものだね。運命って言葉でしか説明できないことが人生にはたくさんあるって改めて感じたよ。”

言葉数の少ない彼には珍しく饒舌な電話は“お前も体に気をつけろよ。”という言葉で締めくくられました。

受話器を置いてしばらくの間、薄氷の張った冷たく深く暗い湖の上でなにも知らずに無邪気に飛び跳ねて暮らしている人間の姿が心に浮かびました。
誰と出会い、どのように生きて、どんな人生を送れるかは、確かにたくさんの“たまたま”と“もし”の結果であり、それを人は運命と呼ぶのだと思います。

ただ、人生の全てが“たまたま”と割り切るのも味気ないので、その時その時を悔いの残らぬように懸命に生きて、後は風任せという感じで薄氷の上を歩いていくのがいいかな思います。

 

2021年12月15日 院長 山下直樹