第37話 行く人の無事を祈る|山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

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第37話 行く人の無事を祈る|山下湘南夢クリニック|藤沢市の不妊治療/体外受精

第37話 行く人の無事を祈る

職員のコロナワクチン接種、着床研究所の増設工事、PGT-A&SRの施設認定、生殖医療の保険収載、YSYCオリジナルの電子カルテ作成と導入、学会発表や保険医協会等での講演など昨年から今年にかけて日常の診療以外に対応しなければならない課題が目白押しでした。その中の多くに公的機関との交渉が含まれており、役所特有の難解な文章や仕事のスピード感の違いなどにより非常にストレスが溜まる日々が続きました。私一人では到底対処できない難題も多く、多くのスタッフの力を借りて一つ一つをやっとのことで乗り越えてくることができたように思います。

そして、ようやく今年中に目鼻をつけなければならない最後のプロジェクトに取り掛かろうとしていた矢先、この課題の根幹を揺るがす申し出が突然に入り、大きな判断を迫られる事態に陥りました。

後悔の残らない判断を下すことは心身ともに大きなエネルギーを必要とする作業です。とりわけ、その結果が自分の生き方や周りの人達の生活に大きく関わる場合はなおさらです。

私は岐路に立った時、やる、やらないのどちらかを選ぶ場合にはやる方を、いくつか選択肢がある場合には、損得勘定よりは、流れとか縁とか情熱を感じられる方を選択するようにしてきました。そして、後は決めたことを一生懸命にやるだけで、結果が良くも悪くもそれが運命と割り切ってきました。そのため、周囲の人からはもっと考えた方が良いのではとか、決めるのが早すぎないかとか半ばあきれ顔で忠告を受けることもしばしばでした。

しかし、今回は決めようとしても
何のためにそんな苦労しなきゃいけない?
今のままで十分、何が不満?
人のためにと思っても、自分が思うほどには誰も感謝しちゃくれない。
などなど、ネガティブな思いばかりが先立って、心が前に進もうとしませんでした。
笑顔の無い日々が続く中で、こんな心模様では悔いの残らない判断はできないように思われました。

精神的にとても疲れていると感じました。

大阪駅で大和路線に乗り換えて新今宮駅へ。
そこで南海電鉄高野線の特急に乗り1時間20分で高野山の麓の極楽橋駅に着きます。
そして、接続するケーブルカーに乗り換えてようやく高野山に到着です。

真言密教の聖地である高野山は街全体に静謐な時間が流れているのが感じられます。
朝早くに出発した旅もすでに3時を回っており、宿泊する宿坊に荷物を預け、高野山の聖地のひとつである壇上伽藍に足を運びました。高野山はひとつひとつの建築物のスケールが大きいことに驚かされますが、その中でもひときわ立派な根本大塔が台風一過の青空を背景に鮮やかな朱色を輝かせて聳え立っていました。この場所で多くの僧侶がそれぞれの思いを抱いて修行されてきたのだと思うと、数知れない祈りを包み込んだ1200年という長い時間が境内の隅々にまで深く浸み込んでいるように思われ、自ずと敬虔な気持ちになっていることに気づかされました。

 

 

 

 

 

人影が少なくなり静かに暮れていく道を宿坊に戻り、限られた食材ながらも工夫を凝らして味付けされた精進料理を美味しくいただきました。確かにここには、酒を飲み、肉食を貪り、大声で騒ぐ俗世とは一線を画する静かながらも張りつめた精神世界が存在することが肌で感じられました。

翌朝6時から朝の勤行があり本堂に向かいました。
三人の僧侶の歌うように流れる読経を聞きながらお経の意味を考えていた私にとってご住職の法話は非常に興味深いものでした。
曰く、仏教ではよく前世とか来世とかという言葉が使われますが、私達の宗派では現世しかないと考えています。そして、お経は “過去に感謝し、行く人の無事を祈る” お釈迦様のお言葉なのです…。

“行く人の無事を祈る” かあ。優しい言葉だな。
何故かこの言葉が私の心になんの抵抗もなく深く染み入りました。

自分の知らないところで、気づかないところで誰かが自分の無事を祈り見守ってくれている。そう思うと、独りよがりな孤独感が消え、感謝の気持ちが湧いてくるように感じました。
そして、この言葉を心の中で繰り返していると、混沌とした心に明かりが射し込み視界が開けてくるようにも思われました。

 

 

 

 

 

 

 

宿坊を後にして、高野山のもう一つの聖地である奥の院に向かいました。ご住職の話によれば、奥の院は彼らがお大師様と呼ぶ開山の祖空海が1200年の時を超えて今もずっと祈り続けていらっしゃる開かずのお堂だそうです。

手を合わせお礼をお伝えして、深い杉木立と20万基に及ぶ墓標に囲まれた奥の院を後にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れた心にエネルギーと勇気をいただいた旅となりました。

2022年9月30日 院長 山下直樹