第47話 ひまわり
- 2024年10月14日
- 院長・医局
何も植えられずに殺風景にベランダに置かれたプランターを少しは華やかにしようとひまわりの種を買ってきました。
季節はすでに7月。時季外れの種蒔きでしたが、照りつける太陽と種の生命力にプランター一杯のひまわり畑の期待を託しました。
指先で土を掘って2,3粒ずつ種を入れます。水を切らさずやり過ぎず、一週間もすると小さな芽が顔を出します。静かに眠っていた種が目を覚まし、大きく姿を変えて躍動し始めます。そのダイナミズムに改めて生命の営みの素晴らしさを実感します。
ひまわりには忘れえぬ思い出があります。
まだ医師になって間もない頃、進行した子宮頸部癌の患者さんを担当しました。
27歳の彼女は2歳ぐらいの女の子の手を引いて診察室を訪れました。
“エッチをすると出血するんです。”
彼女は時おり白い歯を見せながら屈託のない笑顔で病状を話しました。
内診をするとまだ駆け出しの医師だった私にでさえ彼女の病気がただならぬ事態であることが察せられました。
その日から入院して検査が始まりました。
個室に入った彼女のベッドにはいつも女の子が人形を相手に遊んでいました。
病理検査、画像診断、血液検査。
届く検査結果は悪いものばかりでした。
組織型の良くない進行した子宮頸部癌でした。
手術の適応はなく放射線治療をおこなうことになりました。
内心の葛藤はおくびにも出さず、彼女は明るく笑顔を絶やさず治療を続けました。
そんな彼女でしたが、ある日回診に行くと悲しい目をして
“先生、私だめなんかな?この子のために死ぬわけにはいかないんだけど...。”
入院中に一度だけ見せた彼女の涙でした。
放射線療法の効果も限られており、彼女は最新の化学療法を受けるために大学病院に転院して治療を続けることになりました。
“行ってきます。頑張ってくるね。”
車椅子の彼女は女の子を膝に乗せ、笑顔で手を振りました。
季節は巡り夏が来て、同僚の医師と彼女を見舞いに行く話が持ち上がりました。大学病院まで車で30分ほどの距離ですが、途中の花屋に何軒か立ち寄り、ようやくひまわりを見つけラッピングしてもらいました。
彼女には明るく元気をもらえるひまわりが一番のお似合いでした。
ナースセンターで彼女の病室を尋ねると、
“〇〇さんは今寝ていますよ。”
と返事が返ってきました。事情を説明し、花だけでも置かせてほしいと話すと彼女の個室に案内されました。
痩せて頬がこけた彼女はモルヒネの点滴を受け静かにまどろんでいました。
部屋の片隅にあったベースに水を入れ持ってきたひまわりを挿しました。
彼女の足元には少し大きくなった娘さんが私たちを不思議そうに見ていました。
彼女の寝息だけが聞こえる静かな病室で一人遊ぶ女の子の眼差しを背に部屋を後にしました。
その時の光景はスナップ写真で切り抜いたように今も思い出すことができます。
ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが競演し、戦争で引き裂かれた二人の悲恋を描き大ヒットした“ひまわり(Sun Flower)”というイタリア映画がありました。当時、映画館の前には、別離を前に抱擁する二人の背景に地平線を縁取るように遥かに続くひまわり畑が描かれた大きなポスターが飾られ、哀愁に満ちた切ないテーマ曲がスピーカーから流れていました。
見舞いからの帰路、同僚とはあまり会話もなく、ひまわりのポスターとメロディーが心の中に溢れていました。
9月を迎え私の小さなひまわり畑が姿を現しました。
ひまわりを見るといつもこの思い出とメロディーが心をよぎります。
2024年10月14日 院長 山下直樹