返還50周年を迎えて
- 2018年6月23日
- 事務室・受付
今月は私の故郷、小笠原諸島の日本返還50周年記念の月です。
たくさんのイベントが行われ、8月には島で大同窓会も開催されます。
小・中・高校を卒業した人や恩師、そのほか島に関わった人たちが集まるそうです。
私の同級生もたくさん参加します。
24時間の船旅・往復5万円の船代・6日間の休暇を取っての旅行・・・となるとなかなか行けませんが、今回は特別なイベントです。
船代も半分援助してくれるので、たくさんの懐かしい顔が集まる事でしょう。
私もみんなから誘われましたが、やっぱり難しいです。
太平洋戦争の、昭和19年に私の祖父や島民は強制疎開させられ、江の島の近くに住んでいた祖母と結婚しました。
戦争が終わり私の母が生まれ、商売も上手くいっていましたが、昭和43年に日本に返還された小笠原諸島に祖父は想いを馳せ、島に観光ホテルを建てました。
そして昭和48年、1歳になった私を連れて両親は島へ渡り、ホテルで働くことになりました。
今では世界自然遺産となり有名になりましたが、当時は「国立公園」と呼ばれ、何もない島でした。
テレビは画面に文字だけが写し出され・・・音も出ません。
電話も交換手がいて内地へ繋いでくれるんですが、電話代がめちゃくちゃ高いので、夜20時以降にかける・・・など不便でした。
当時は船も小さくて、時間ももっとかかりましたし、海が荒れると船の中でゴロゴロと転がっていました。
少しづつインフラが整い、衛星放送でNHKが観れるようになった時は本当に嬉しかったです。
(もちろん今は全局・CS・BS観れますよ)
江戸時代に欧米人とハワイ人が住みつき、明治9年に日本人が移住を始めてから独特の文化を歩んできた小笠原。
ハワイの人から受け継いだ「土人踊り」(→今は「南洋踊り」と呼ばれています)は何語かも分からない言葉で歌い、木をたたき、フラダンスのような踊りを学校で習いました。
祖父の時代の島民を「旧島民」、返還後移住してきた人々を「新島民」と呼びます。
今では旧島民の数も減り、戦争の話なども聞けなくなってきました。
しかし昔の歌や踊りは新島民が受け継ぎ、歴史を大事に引き継いでいます。
海が綺麗で自然がたくさんというイメージの小笠原ですが、歴史を知る人は意外と少ないと思います。
空爆で母親を亡くした祖父、戦地となっていた島・・・防空壕もそのままたくさん残っています。
そんな歴史を振り返る返還50周年になったら、亡き祖父も喜ぶだろうなぁと思いました。
小さい頃は何もない島より、内地に憧れましたが大人になった今、心の故郷は小笠原だなとしみじみ思い、いつの日か島へ帰りたいと思うようになりました。
ハワイやグアムのようにお洒落な店やきらびやかな店は無いですが、クジラを見たりイルカと泳いだり、楽しい思い出が作れる島です。
是非一度旅行してみて下さい。
そして、もし遊びに行ったなら感想を聞かせてほしいです。
↑ 防空壕です。